わらをも掴む気持ちで

子供が不登校になった時に、
「このまま、ひきこもりに
なったらどうしよう」

恐怖でした。

不登校でもいいんだよ。
ご本人もご家族も、
心配しなくてもいい。

気持ちに寄り添う
カウンセリングも
ありますが、

私はそんなの絶対嫌だ
思いました。

なぜなら、

生まれたときからずっと
我が子の笑顔を見てきたし、
将来幸せになる姿しか
想像できなかったし、

ピシッとしたスーツ姿でも
泥だらけの作業着姿でも
その姿のてっぺんには
ニコニコ笑顔の子供の姿しか
想像してこなかったから、

真逆の姿を認めろという
カウンセリングは
受け入れ難かったんです。

少しでも早く
子供の笑顔を取り戻したい

それを叶えてくれる道を
必死で探しました。

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毎日、自分を大切にする時間を持ちなさい

そんな時に出会ったのが
滋賀県大津市にある
行動科学研究所所長、
岩田静治先生でした。

先に奥様の順子(よりこ)先生との出会いが
あり、しばらくしてからのことでした。

一通り、今までの経緯を聞いてもらった後に、
静治先生から言われたことは、

「1日の中で、自分を大切にする時間を作りなさい。
毎日毎日、1ヶ月続けてごらんなさい」

その時に決めたことが、
ランチタイムを大切にしよう、と。
これくらいしか当時の私に
できることがなかったんですね。

残り物でもいい。
買ってきたものでもいい。
いただく時にしっかり味わい、
自分の時間を大事に過ごすことを
決め、1ヶ月続けました。

自分のことすら、ないがしろ

うまく説明できるか自信がないのですが、
当時を振り返り、書いてみます。

子供の不登校というのは、
目の前に起こった事象に
過ぎなかったということです。

息子の問題ではなかったのかもしれない。
全くないわけではないけれど、
算数や数学を解くのとは違い、
問題を解決するために向かい合うのは、
そのものではなかったということです。

自尊心の低さ

専業主婦として10年以上
家事と子育てをしてきましたが、
私が一番力を注いだことは
子供を出世街道のレールに
乗せることでした。

その価値観がどこからきたものだったのか
いまだに自己分析ができていないのですが、
子供への偏愛ですね。

食事を大切することが、
ハッと我に帰った瞬間でした。

私が幸せになるという感覚は、
子供が笑顔になることではなく、
数字を獲得することになっていました。

子供にイイ数字がつくこと。
数字、偏差値です。
偏差値のいい企業につくこと。

子供への評価が
私の満足であり、
私の幸せだった頃の話です。

本当にやりたかったこと

ズバリ、と言えるものはないです。
私にとって当時の子育ては
なんだったんだろうと
今でもわからないです。

でも疲れていました。
毎食ごはんをつくること。
片付けや洗濯や掃除や。

やることも遅かったし、
余計なこともしていたから、
時間に追われていました。
その間に夫はテレビを見ている。

お給料を家に入れてくれるのは
ありがたいけれど、
エンドレスに続く家事。
一銭の評価にもならない家事。
評価対象外の仕事、専業主婦。
そうじゃないんですけど、
そうなんです。

専業主婦を選んだのは自分だけれど、
私は自分の稼いだお金で
気兼ねなく消費をしたかった
自分の理想とする姿がようやく
分かった時でした。

アルバイトでもいい。
子育てをしながらできることでいい。
好きなことはさせてもらってきたけれど、
自分の価値を図る物差しは、
私の場合、収入を得ることでした。

そこに至るただ一つのきっかけは、
自分の感性を満たすこと。
ご飯の味を噛み締めながら、
ご飯を食べること、感じること。

感じてますか?

良いことも悪いことも
自分の感じたものを、
認めることにしました。

子供が悪い、
学校が悪い、
夫が悪い、
ではなく、

嫌だと感じたことは
自分の感性だと認めることが
大切。

これがいいなと思ってしたことで
本当の自分に気づくんです。

専業主婦がいいなと思って専業主婦をしたから、
私は仕事をしたかった自分に
気づいたんです。

子供達に一言、言いたくなるのなら、
自分がなぜ
それを言いたくなるのかを
自問することから。

自分を責めたくなるかもしれない。
「私が母親としてダメだったんです」
って言いたくなる。

原因の一つが見つかったという点では、
楽になったような気がするけれど、
わかったからと言って早期解決するものではない。

ここにいたるまでには、自分の命の長さ
以上の時間をかけて築きかげられたこともあるの。
お母さんが悪いことは一つもない。
お母さんの役割は気づいて、次に進むための架け橋に
なる手伝いができるかな?ぐらいのこと。

でもお母さんがいなかったら、次には進めない場合が
多々あるので、そういう「踊り場」的な役割を
担ったということ。大変で尊いお役目です。

できることもできないこともある。
それを伝えればいいんです。

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この記事を書いた人

夫、息子2人、娘1人の5人家族。子ども2人が同時期に不登校になりながらも、育てた上げた経験を元に神戸観塾を開校。

3人目の子育てには干渉しすぎないよう、専業主婦を卒業し、20年ぶりに社会復帰。大手個別指導の塾でアルバイトを始める。塾講師の仕事に3年ほど就きました。

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