ふたりの不登校っ子を育てた親の後悔

目次

小学生までの子どもにとって一番大事なこと

子どもがふたり、不登校になると、
流石に親としては考えさせられます。
私の育て方が悪かったのだろうな、と。

長男に関しては、早期から大学受験までの
道を決め、それに外れないような生き方
強いてきました。

人生で一番大事なことは、
一生懸命勉強して、いい学校に入り、
いい企業に就職して家庭を持つこと。
これが当時、信じていたことでした。

専業主婦として、子供を立派に育てる。
妊娠してから胎教を始め、幼児教育、
学習塾、受験して中高一貫校、国立大学、
大企業に就職、とここまで決めていました。

これこそが理想的な、幸せ家庭
と信じていたお母さん、
少し前まではそんなにめずらしくは
なかったのではないかと思います。
私と同じ、50代から40代くらいかな。

このままうまくいくご家庭もあります。
でもうちの場合は脱落
親子の歯車も噛み合っていない状態でした。

結果、供はどうなったか?
魂の抜け殻
勉強ばかりやらされていたので、
不登校になった時に
子ども達は我に返ります。

僕がやりたいことはなんだろう?
なんのために生きているんだろう?

好きだった野球は二度とやりたくないものに。
唯一の楽しみを取り上げられることが
どんなことになるのかを
学校関係者はもとより、母親の私がわかって
あげられなかったし、寄り添えませんでした。

学校に行かなくなった時、
少しそっとしておいて
あげたらよかったな。

振り返ると後悔、後悔、後悔

息子たちの大事な時期を
私が無茶苦茶にしてしまった負い目を
感じていたこともありました。

今、不登校で悩んでおられるあなたにとって
我が家の経験が何かヒントになれば幸いです。

我が子が学校に行きづらくなった時期

2019年5月30日、NHKスペシャル
シリーズ「子どもの”声なき声”
第2回 ”不登校”の放送は衝撃でした。
登校の約11万人隠れ不登校を入れると
約44万人もの中学生が
学校に行きたくないと考えているそうです。
我が子も高校の時、不登校になりました。

なんとか復学させなければと思い、
必死で動き回った毎日でした。しかし、
高2から不登校になり、高3に進級できず、
退学をしました。

あっという間の1年でした。

その頃はもう、
気持ちが沈み苦しい毎日

でも、今年2020年春。
退学してから7年、
大学を無事に卒業する予定です。

悪夢の始まり

息子が学校に行きづらくなってきたのは
高校1年を修了して迎えた春休み。
部活動の練習への行き渋り
きっかけでした。

努力が報われないと感じた部活動に、
熱意を失い、サボりがちになりました。
部活動を中心とした友人関係がなくなり
学校に居場所がなくなりました

高2になり、4月からは学校に
行ったり、行かなかったり
家を出てはいるものの、学校には
行けていないということもありました。

担任の先生や部活の顧問、
保健室の先生にも相談したものの、
解決の糸口見つからず…。

6月の修学旅行には参加できたので、
復学のチャンスか!?
期待もしたものの、叶わず。
修学旅行は楽しかったけれど、
「学校には行かないよ」と。

「なんとかせんかいっ!!!」

恥ずかしい話、
大人気なく、切れまくりました。
息子に苛立ち怒りがこみ上げ、
寄り添いたい気持ちは全て消え、
サボり、怠け者などなど
罵声を浴びせていました。

このまま高校に通わなければ、中卒だ。
手に職もなく、働く意欲もなく

社会で生きていけるのか?
自分の将来いいのんか?
この先、不安にならんのか?

大きくなる不安を消したくて
私はあらゆる手を打ちました。
なんとか復学させたい思いでいっぱい。

教育関係、子育てなどの講演会に行ったり、
不登校事業をされている方に相談したり、
民間のカウンセリングを受けさせたり。

しかし、やってもやっても
事態は変わらず。むしろ悪化。
息子は完全に学校に行かなくなり、
一日中部屋にこもった生活になりました。

ひたすらゲームに没頭。
ただただゲームに没頭。
でも楽しんでいる様子ではなく、
心はどこかへ飛んで行ってしまって、
時間つぶしだけの生活
のように見えました。

半年前は普通の高校生だったのになあ。
まさかこんな日が来るとは
思いも
しなかったわけです。

そして2学期の後半、11月のある日。
今後の相談をするために
夫と一緒に学校に足を運びました。

留年をする人はいませんから

夫が開口一番、
「進級に必要な単位取得は
足りていますでしょうか?

「はい。まだ大丈夫です。
来年の1月半ばくらいまでは
休んでも大丈夫です」

「実技教科などで欠席が特別に多い、
とかはありませんか?」

「えーっと、少しお待ち下さい…。」
担任、離席。

しばらくして、戻ってきた担任の口から出た言葉。

音楽が。あと2コマ欠席で落第です…。
「えっ・・・・・。


それからの日が過ぎるのは速かったです。
高校3年への進級は
あっという間に消えました。

後日、学年主任も交えての話し合いの中で
「うちの学校では留年する生徒はいません」

退学か、転学かと迫られました。
その時は決断できず。
授業料はしばらく据え置きで在籍。
高2の3月、最終的に退学届けを郵送し、
手続きは完了。高校を去ることにしました。

当時は学校の不親切な対応に、
腹も立ちました。でも高校は
義務教育ではありませんから。
自己管理ができないことは
基本、家庭や息子の問題です。
は「手を離しても目は離すな」なんです。
親子の距離感の難しさを感じました。

高卒認定を受け大学へ

友人たちが高3に上がる4月。
桜が舞い、新年度が始める季節。
息子は動き出せないストレス
感じていました。
どうにかしないとという焦り
にじみ出ていました。

知人に聞いた情報をふと思い出し、
語学留学の話を持ちかけました。
日本人が経営している学校があり、
短期間で語学力をつけることができるよと。
日本人もあまり行っていないから
挑戦してみないか?
いい機会じゃないかと。

今申し込めば、直近で5月下旬のスタートになる。
誰とも話さない生活から脱し、初めての留学。

息子は単身で1ヶ月の語学留学を選びました。
場所は フィリピン、セブ島

毎日英語漬けの日々、
南国のおおらかさや
ゆっくりとした時間の流れの中で
余計なことを考える暇もなく
ひと月が経ち、帰国。

「行ってよかった。」

短期留学は一つの転機になりました。

その後は大学進学を目指し、勉強再開。
でも夏休み明け、大手塾の模試を受け、
成績の悪さに愕然として、
塾に行かなくなってしまいました。
再び、ベットの上で過ごす日々に
戻ります。

「終わったわ。もう」

約1年半の学習の遅れを短期間で取り戻すのは、
いくら何でも無理です。
知らないことだらけになっているのは当然。
仕方ないことです。
でも早くみんなに追いつき、追い越し、
気持ちが楽になりたかったのです。

塾での取り組みも悪くなかったそうです。
でも高3の秋、みんなが頑張っている中で、
よしっ!と実感できる程の結果を出すことは
厳しいものです。

他者と比べるのではなく、
自分の過去と比べることができていたら、
落ち込む必要はなかったでしょう。
虚ろな生活に戻り、半年が過ぎました。

翌年、滋賀の知人にお願いをし、月1回、
息子に比叡山の中腹で過ごす機会を
作りました。
大人との対話もできなかった子が
しばらくそこに通い、ある日、
自分を客観的に捉える
こんな言葉を発したそうです。

「僕のなかに、
こうあるべきという高い目標を持った人間と、
どうせやっても無駄だと諦めさせようとする
人間がいる。
そして2人を見ている人間が、もう1人いる。
この3人目の人間を成長させていくことで、
僕は
うまくやっていけるような気がします。」

少しずつ自分を取り戻し、勉強を再開。
翌々年、予備校で本格的な受験勉強をし、
高卒認定を取得

同学年の子より2年遅れで大学入学
神戸を離れ、関東圏で通学。
4年の年月が流れ、この春卒業します。

もう一人の不登校

同じ時期に次男も不登校になりました。
次男は起立性調節障害という症状で、
朝が起きられず、学校に通えなくなりました。
進学先の中学校では膨大な勉強量への
ストレスを極度に感じたこと
要因の一つでした。

学校カウンセリングや、
大学の心理学科を紹介されました。
進学した先の高校には上がれず、
再受験をし、
県立の多部制高校を受け直し
3年後に高校卒業、大学合格。
好きなことを専門にして
勉強をしています。

小学校時代は自分の好きを見つける時期。

子供時分って、
友達と仲良くしたり、
小さなけんかしたり、
傷つけたり、傷つけられたりしながら
コミュニケーション能力を高める時期。

この機会を逃したことで、
彼らは一生苦労するのではないか。
最近までとても心配していました。

でも今、長男も次男も楽しく
大学に通い、勉強しています。
少しホッとしています。

息子達の不登校という事態に、
当時は頭が真っ白になり、
誰にも知られないように、
インターネットを使って情報を集め、
解決をしようと試みました。

結果的に、たくさんの人に出会い、
親身になって話を聞いてもらい、
アドバイスをいただき、
息子たちに試してもみました。

うまくいくことも
うまくいかなかっことも
ありましたが、
動いた距離と時間が
私の心の隙間を埋め、
心を温めてくれたのだと
思います。

子ども達には家庭と学校以外に
世代の違う人たちとの交流を
普段から持つこと。

これが一つのきっかけになると思っています。
評価をされない、ほんわか温かい
人間同士の関わりです。
今風の言葉で言うなら、多様性の中で
子育てをすること。

昔ならばおじいちゃん、おばあちゃん、
おじさんやおばさん、ご近所さんなどが
その役割を果たしてくれました。
近所のおばちゃんが、
「お母さん、娘さん許してやってよ」
仲介に入ってくれることもありました。

不登校の子どもさん
うちの中にずっといるのであれば、
誰かをうちに入れることも一つの案。
リビングで友達とお茶をするもよし、
兄弟の友達を遊びに来てもらうもよし。
かといって本人に無理に会わせる
必要は
ありません。

またお母さんは子供がウチにいても、
一緒に自宅待機する必要はなく、
仕事を始めたり、
遊びに行ったりして
少し距離を取ってみることを
やってみてください、
ぜひ。
お母さんの心をゆるめることを

子どもたちの心の中の
「ねばならない」は

家庭や学校という物差し
で測った価値観です。

ゆっくり流れる時間の中で、
色々なものの考え方を知り、
自他との距離感を知っている途中
にいるところです。

家庭でできるサポートは
子どもをしばらく
安全な場所に置くこと。

子どもが受け入れてもらえなかったものを
親子で共有すること。

子どもが何を大切にして、
どこが不快だったのか?
子どもの価値観を探るチャンスです。

でも子どもの将来にとって
必要な学びや経験であると
気にされることがあるならば、
どこか場所や手段を変えて、
補ってあげてほしいと思います。
親だからわかる感覚ですし、
親としての務めだと思います。

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この記事を書いた人

夫、息子2人、娘1人の5人家族。子ども2人が同時期に不登校になりながらも、育てた上げた経験を元に神戸観塾を開校。

3人目の子育てには干渉しすぎないよう、専業主婦を卒業し、20年ぶりに社会復帰。大手個別指導の塾でアルバイトを始める。塾講師の仕事に3年ほど就きました。

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